初詣


役所は4日から、多くの民間企業は5日から新年の仕事始めだろう。

ビジネスパーソンは、社長の年頭の辞を聞いたり、神田明神へ初詣に行ったり、得意先へ挨拶回りをしたり、年賀状を読んだり書いたり、その合間に御神酒をなめたり(あるいは逆に御神酒をなめる合間にそれらをしたり)で、新年からなかなかに忙しい。

だがもちろん、仕事をしていない自分に仕事始めは関係ない。早く仕事を始めたいものだ。

とまれ、新年早々拙ブログをお読みいただいている奇特な皆様の新しい年が良きものとなることを、お祈り申し上げます。

神社のドメイン

今の居所に越してくる前は、神田明神の近くに住んでいた。深夜の散歩で、公園横の裏参道から境内に入り「痛絵馬」を眺めるのがなかなか楽しかった。神田明神は商売の神様として有名だが、秋葉原に近いことから同時にオタクの神様でもあり、痛絵馬専用らしき設置棚も用意されている。

しかし仕事始めの1月4日5日だけは、商売繁盛を願うビジネスパーソンに占拠され、スーツスタイルのグループが湯島聖堂に沿って長い列をなす。もちろん仕事で来ているのではあろうが、みなどこか浮き浮きして楽しそうで、新しいおもちゃを買ってもらった子どものような顔で、破魔矢を抱えて帰っていく。

一方、神田明神から歩いて10分もかからないところにある湯島天神は「学問の神様」とされる。こちらは元旦には学生グループや親子連れが、地下鉄湯島駅から登る「中坂」に、長い行列をつくる。中学生か高校生みたいな若い子たちも多く、寒空の下1時間も並んで、風邪でも引かなければよいがと心配になる。

元旦はどちらに行っても、大行列を覚悟しなければならない。

ところで、神田明神と湯島天神の間に挟まれたエリアに、「妻恋坂」という風流な名前の坂道がある。東京は坂の多い街だが、文京区は特に由緒のある坂が多くて、散歩に楽しい。樋口一葉の旧居がある菊坂のあたりは、とりわけ趣深いエリアだが、その話はまた別の機会に。

その妻恋坂を登り切ったところに「妻恋神社」がある。私は湯島天神が好きで、近所に住んでいたときは足繁く通ったが、妻恋神社も散歩の途中に立ち寄り、1度か2度は賽銭を投げたことはある。神田明神、湯島天神という有名神社に挟まれた妻恋神社は、大晦日や元旦でも参拝客は遙かに少ない。おそらく地元の氏子の人たちと、上記の2神社での行列に嫌気がさして、こちらへ逃げてきた参拝客、そして一部の歴史マニアだけだろう。

実はこの妻恋神社は、相当な歴史由緒のある神社らしい。だが残念ながら、「商売とオタクの神田明神」「学問と受験の湯島天神」みたいな、わかりやすい事業ドメインを打ち出せていない。両神社の参拝客の大行列を横目にみながら、いつも少し寂しい正月を迎えている。

つまり神社だって、企業経営理論で学習したとおりに、ドメインの確立が最重要だという話である。エーベルの3次元モデルで各神社の事業ドメインを定義してみると面白いかもしれない。

初詣の発祥

翻ってみれば、そもそも「初詣」という習慣自体、古来からの伝統でもなんでもなく、明治期に当時のベンチャービジネスである鉄道会社と神社とが手を組んで集客イベントとして始めたものだ。つまりマーケティングの産物なのだ。

おそらく優秀なマーケターがいたのであろう。この新イベントは大ヒットして、庶民の間に定着した。歴史由来とは関係なく菓子メーカーと広告代理店が作り出したバレンタインデーが、季節の風習としてうまく定着したのと同様である。

ウィキペディアによると、「初詣」が季語として初めて俳句に登場するのは大正に入ってから(1912年以降)ということだから、かなり新しい風俗だろう。

初詣もそうだが、いま日本で「伝統」と見なされているものの多くは、明治期に時の新政府や新興企業によって作られたもので、伝統でも何でもない場合が多い(ヤマト王権の支配確立から数えても1500年の歴史をもつ本邦において、初詣のように100年程度の歴史では古来よりの伝統とは呼べまい)。

神様関係で言えば、初詣みたいな新参イベントより、たとえば庚申講みたいなイベントの方が、庶民の間ではずっと古くから身近で親しまれてきている。だが、いま庚申講をやる人などほとんどいない。(そもそも「講」がどういうものなのかさえ、知らない人も多いかもしれない)。古道の脇にときおりみかける庚申塔に、わずかにその痕跡を残すのみである。

私は場所(空間)としての神社は嫌いではないし、どちらかといえば伝統的な事柄にも比較的興味を持つ方だと思う。だが、たかだか大正期から普及したような商業イベントである初詣自体には、信仰的な観点からは価値を見いだしていない。また明治(から敗戦までの)政府による国家神道政策と、それを背景として生まれた現在の神社本庁による神社管理体制に対しては、批判的な考えを持っている。

だから自分は初詣にはいかない。しかし、なぜ人が集まるのかというマーケティング的な観点での分析には興味をそそられる。

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