TAC中小企業診断士講座、今日は「財務・会計」の養成答練(科目テスト+解説)だった。
事前に講師は「難しくなった」と言っていたが、ふたをあけてみれば、少し考えさせる要素がある問題は1題だけで、あとはほぼすべて基本問題。全体的に計算量も少なく、取り組みやすい試験だった。
自分には、「企業経営理論」の養成答練よりレベルは下がって易しくなったと感じられた。
実際、テスト後の受講生の挙手による確認では、このクラスで満点が1人、90点以上も10人近くいたようだ。おそらく、全体の得点分布(平均点)は企業経営理論よりも上がるだろう。
自分でも信じられないもの。それがミス
そんなレベル感の養成答練ではあったが、しかし、自分の結果は情けないものだった。
それは、正解と確信し、自信を持って解答した問題が3問も間違えていたこと。解答を見た時は、思わず「えっ!」と声を上げてしまった。
そして、よくよく問題を見なおしてみれば、誤りの原因はすべて単純なミス。本当に、バカみたいな単純ミスだ。
1つは、問題文にあった「1年後」という与件を見落とし、「現在」で計算してしまうミス。また設問が良くできていて、そのミスをして求められる数値がちゃんと選択肢の1つに用意されている。これにはやられた。まいりました。
2つ目は、足し算の間違い。こうして書くのも本当に恥ずかしいが「230+220」を、こんなものは筆算はしないので暗算していたが、「550」と間違えて撃沈。毎朝「100ます計算」や「九九」をやっていても、こんなところで間違える。もう、言葉もない。
3つ目は理論問題で、税効果会計の内容を減損会計に適用される内容と取り違えた。ちょうど先日、減損会計に適用される内容が過去問に出てきて、初見だったのでメモを取り、強く印象に残っていた。それで取り違えてしまった。これはミスというより、勉強不足というべきかもしれないが。
本当に自分が情けない
企業経営理論の答練のとき、間違えた問題は、解いているときに「これかな?それともこっちかな?」と、かなり迷ったものばかりだった。だから正解を見ても、「ああ、やっぱり間違えたか」と思うだけで、勉強不足だとは感じたが、別にショックは受けなかった。
ところが、今回は自分で求めた解が選択肢にあるものだから、正しいと確信を持ってマークしている。それだけに、間違いだとわかったときのショックは大きかった。実に情けない。みんな雨に打たれてりゃいい。
わかっていたけど間違えた、で不合格
いっけん、テストでの間違いには次の2種類があって、間違いの「質」が違うように見える。
「そもそも内容がわからなくて、間違えた」
「内容はわかっていたけど、見落としや誤解でミスをした」
しかし、これらは違うように「見える」だけで、実際には種類などない。あるのは、間違えれば0点、正解すれば加点、その区別だけだ。本番のテストでは、間違えた理由の区別はまったく無意味だ。(今後の対応を考える上では、不正解の原因を考えることはもちろん意味がある)。
「でも、内容はわかっていてミスをしただけなのだから、それは“正解に近い間違い”、”惜しい間違い”なのでは?」と思いたくなるかもしれない。だが、そんなことは絶対にない。というより、そういう考えを持つこと、つまり「内容はわかっていてミスをした」ことに対して、アドバンテージを感じたり、心理的な加点をすることは非常に危険で、合格から遠ざかる道だ。これはバッファを取って厳しめに見積もっておこうという話ではまったくなく、正味の話である。
なぜなら、本試験(一次試験)を受ける多くの人、少なくとも、合否のボーダーライン上に並ぶ人は、しっかり勉強して内容の9割方を理解して受けているに決まっているからだ。
合否のボーダーライン上に限れば、内容がわかっている、理解していることは、アドバンテージでもなんでもなく、ただの前提だ。内容を理解している自体ことは当然であり、その上で、「わかっているけどミスした」8割の人が不合格になり、「わかっていて、ミスもしなかった」2割の人が合格する。そういう試験なのだから、わかっていたけどミスをしたなら、それはすなわち絶対に合格しないということ。「わかっていたんだけど」と言いながら不合格になるのが、ボーダーライン上で不合格になる人ということ。
つまり、診断士試験に限らず、難関試験とは、内容がわかっていることは前提で、どれだけミスをせずに解答をマークできるかを競うゲームだともいえる。
メダルを獲るのは、上手い選手ではなくミスをしなかった選手
別の例でいうと、たとえばオリンピックの体操競技に、体操そのものが下手な選手がいるわけない。競技力が世界最高レベルであることは、単なる前提だ。アドバンテージでもなんでもない。
その上で、本番の競技でミスをした人は減点されてメダルを獲れず、ミスなく演じきれた人がメダルを得る。ミスをした選手が「ミスをしなければメダルが獲れた」ということが、まったくのナンセンスであることはわかるだろう。
「わかっていたけど間違えた」というのは、それと同じようにナンセンスだ。
では今後どうするか
一方、「どうして間違えたのか(ミスをしたのか)」を考察し、今後同種の誤りをしないためにどうすればいいのか、その具体的な方策を考えることは、必要かつ重要である。
自分の今回の誤りに関しては以下のように考えた。
(1)与件の見落とし、誤解を防ぐ
正誤に直結する重要な与件には、必ずペンでマークをする。(なにがそれであるのかを見抜くのは、普段のトレーニングによる)。
私はこれまで、問題用紙に計算以外の書き込みをあまりしていなかった。だが、今後は重要与件については、囲みなどのマークしようと思う。色ペンを使った方がいいかもしれない。
(2)単純な計算ミスを防ぐ
これは難しい。考えられるのは、すべてを筆算で書いておくことだろうか? ただ、筆算で書いても、間違えるときは間違える。筆算で書いて、さらに必ず検算をすればいいが、時間との兼ね合いがある。あとは、毎日の計算トレーニングを続けることくらいか。
(3)違和感のある問題は、チェックしておく
「230+220」の問題では、実はちょっとだけ「ん?」と引っ掛かる気持ちというか、違和感があった。こういう違和感をおぼえた問題にはチェックをしておいて、最後に時間があれば見直せば、間違いを見つけられるかもしれない。今回の答練でも、最後5分くらい時間が余った。その時間を、マークミスがないかどうかに使ったが、気になる問題をチェックしておけば、そこを優先的に再確認できる。
(4)問題の解き順と、マークの仕方
これは、研究の余地がありそう。機会があれば、また別になにか書きたい。