「財務・会計」の講義は、後半の会計パートに入った。TACの「財務・会計」のテキストは、大きく分けると、会計 → ファイナンス → 会計という構成になっており、その後半の会計パートということだ。
渋谷で受けた7回、8回(一日で行う)の遠藤講師の講義は、非常に良かった。すでに知ってはいたが、ぼんやりしてあやふやだったところがクリアに理解でき、断片的で乱雑に散らかっていた知識がすっきり整理されて、実に気持ちいい! 久しぶりに「勉強の気持ちよさ」を味わって、大満足の講義であった。
知っていることと、理解していることは違う
前も書いたが、知っていることと、理解できていることは大きく違う。知識を使いこなせるようになるには、単に知っているだけではなく、深い理解が必要だ。それがないと、たとえば試験で少し応用的な問われたときに「知っているのに間違えた」ということになる。確実に合格するためには、学習範囲のうち少なくとも頻出の論点については深い「理解」を目指さなければならないだろう。
これは逆に言うと、理解するためには、まず「知っている」ことが必要だということだ。知らないことは、当然理解できない。すると、まず知っておくために、講義を受ける前の予習が非常に重要だということにもなる。もちろん、講義の場でテキストを読んで「知る」こともできるが、それでは「知る」のレベルが極めて浅いものとなってしまう。
だから、(講師によって、言ったり、言わなかったりすることがあるかもしれないが)、予習段階でテキストを読み込んで、もちろん「トレーニング」の問題も解いて、Web(DVD)講座が見られる環境の人ならそれも観て、それから講義に出るのがベターだろう。
そうじゃないと(高い時間的、資金的コストがかかる)講義を受ける意味がない。というより、正確に言えば、そうじゃないと意味がなくなるような講義じゃないと、むしろその講義の存在の意味がないということだ。
つまり、生徒がテキストレベルの知識を(すべてではなくてもだいたい)持っていることを前提として、その知識をより深めて、使えるように理解させるところに、講義(=講師の存在)の主要な意味があるということ。テキストの内容を確認していくだけ、みたいな講義では意味がない。
講義では「知る」と「理解する」の橋渡しをしてほしい
試験に向けた学習の全体を「知る」と「理解する」との2つの局面に分けるとすれば、「知る」は独学でもある程度は可能だが、「理解する」はそれが難しい。なぜ難しいのか? 一口で言えば、テキストはテキスト自身をパラフレーズしてくれないからだ。だから「知る」と「理解する」との間の橋渡しがうまい講師が良い講師だと思う。
もちろん、「知る」をサポートしてくれることも、大切ではあろう。たとえば、知る上でもわかりにくいところや、特に重要なところを指摘してくれる、あるいは、覚えやすい方法(語呂合わせとか)を教えてくれる、など。それを軽視するわけではいないが、それだけだとやはり物足りない。
「深く理解している」状態とは、つまるところ、文脈に応じた多様なパラフレーズができる状態であろう。であれば、講師の説明も、いかに多様な文脈を持ち出してパラフレーズをしてくれるのかが肝要であり、聞くべきポイントだ。
いい換えると、「テキストに書いていないことをたくさん話すことによって、テキストを理解させる」、これがどれだけできるが、講師の腕の見せ所だということ。私はそういう視点で講師を評価している。
今回の遠藤講師は、その意味からも、とても聞きごたえがあった。